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パラオスタディツアー2005 - 青年海外協力隊東京OB会 > 活動報告

東京都出身,在住のJICA(ジャイカ)国際ボランティア帰国隊員による、組織と活動の紹介ブログ。壮行会,講座,イベント出展,現地レポートなど。赴任・活動環境や派遣前訓練、現職,短期,シニア等の募集制度、倍率,給料,就職の実態。

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パラオスタディツアー2005

【事前研修の記録】
1.オリエンテーション
事前研修(勉強会)の初回として、パラオについて、青年海外協力隊について、パラオスタディツアーの趣旨や目的について、これから一緒にパラオへ旅行する仲間について、よりよく知ってもらうために、オリエンテーションを行った。参加者が予想したほどは集まらず、2004年9月26日(日)のほか、追加応募者を対象として10月31日(日)にも行った。会場は、いずれもJICA広尾(広尾青年海外協力隊訓練所)である。

2.国際協力フェスティバル
パラオスタディーツアーに取り組み始めた1999年以降、国際協力フェスティバルでは、スタディツアーに関する展示や活動報告、募集説明などを行っている。過去の参加者にとっては、久しぶりに仲間に会える同窓会のようにもなっている。今年度は、大学生や高校生が中心となり、若い感性で企画を立て、どのような展示をするか自分たちで工夫し準備して、より充実した内容となった。パラオの音楽を流し、パラオで買ったパレオを机にきれいに広げ、自作の垂れ幕やポスターを飾り付けた。商品の産地や謂われをうまく売り文句に織り込んで売り捌き、状況に応じて手書きで南洋調にポスターなどを作り、彩りを添えた。
パラオ大使館からは以前より、パラオに関する展示物の貸し出しや広報リーフレット等の提供を受けているが、今回はパラオ政府観光局日本事務所から、美しい海のポスター8枚と、パラオ共和国公式旅行ガイド400冊を提供していただいた。

3.合宿研修
パラオという外国で寝食を共にする仲間を、日本にいるときに少しでも知っておこうというねらいで、合宿研修(勉強会)は第1回ツアーの時から行っており、効果の大きいことは実証されている。未成年を引率する立場からも、1泊2日を共に過ごすことで参加者の生活習慣やクセなどが分かり、現地での行動を把握したり予測するのに役立っている。JICAのご配慮を得て、11月13日(土)と14日(日)に、JICA東京(東京国際センター)にて行った。

4.事前研究発表会・結団式
12 月19日(日)はJICA広尾にて、事前研究の発表会と結団式を行った。事前研究発表では、各自がしっかりした発表原稿を作り、パワーポイントを駆使した発表もあった。結団式では、協力隊を育てる会事務局次長、青年海外協力協会総務課長などから激励と支援のお言葉をいただいた。参加者代表挨拶ではパラオへ行く決意を述べ、実行委員長から檄が飛ばされた。その後は、内々で和やかな懇親会を開き、パラオスタディーツアー2005の成功を誓いあった。

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【現地での取り組み】
成田空港第2ターミナルには、9時までに参加者全員が揃った。グアムを経由し、午後8時40分にパラオ国際空港に到着した。入国審査は思いのほか早く済んだ。すぐにマリーナホテルへ向い、チェックインのあと、おのおの各部屋へ散っていった。

天気は良好でホテルの窓からは海がみえる。ペリリュー島へ出発!!舳先で風をめいっぱいあびながら、エメラルドグリーンに輝く海原をかき分けて進む船の上で、なんとマンタ発見!
ペリリュー島では、ハンス・タンジーさんに案内してもらう。「日本軍倉庫」であった建物は、外壁には砲弾の跡が生々しく残っているが、内部は戦争の遺品が展示されている。飯盒や銃剣、電話、防毒マスク、千人針、軍旗など数々の展示品から戦争の有り様が見て取れる。
Bloody Nose Ridgeからはペリリュー島が一望できる。有名な「死の谷」にも数々の洞窟が並び、日本兵はこれらに潜み、谷を歩く米軍を攻撃した。今はジャングルに覆われ、さまざまな鳥の声や姿の見えぬ猿の声が響き渡る豊かな自然を育んでいるが、戦争当時は丸裸だった。
「日本軍海軍総司令部跡」が、屋根から床まで大きな穴が貫通しているさまは、大砲の威力を思い知らされゾッとする。夕飯は一般的なパラオ料理だったが、ココナッツをぬったヤシガニや赤身の刺身など豪勢だった。

ペリリュー小学校の朝礼に参加。1時間目は先生方の打ち合わせがあるので、最上級である8年生の子が各クラスに散らばって、下級生の自習を監督していた。自習の時間には、ぬり絵や読書、書き取りなどを行うようだ。中には、授業をしてあげている上級生もいた。
Rose Garden(珊瑚がバラの花のような所)でシュノーケリング。ガルメアス島で、昼食。ミルキーウェイは、海底が白くてとてもきれい。海底に沈むゼロ戦は、当時の姿そのままで、歴史の重みを感じた。Epison Museumでは、パラオの歴史や伝統などについて詳しく説明してくれた。

パラオ高校の生徒はみんな気さくで、話しかけたら恥ずかしそうに答えてくれた。パラオでは会話の中でも日本語が混ざっていて、日本語が通じる場合もある。パラオコミュニティーカレッジ(PCC)は、短期大学と職業訓練所をかねた施設で、日本統治時代は病院だった。日本語教室では、習字をやっていた。

ベラウ国立病院へ。パラオ人は生まれると番号がつけられ、病院でデータが管理できるようになっている。アメリカの食生活の影響で、糖尿病や高血圧が増加している。その後、シニアシチズンセンターに寄り、サンゴ礁センターへ行った。

ホストファミリーとの会食では、はじめは自分が何処へ行くかがわからず、どきどきしている。ファミリーごとに着席して茶道の御点前を観る。これぞJapaneseCultureと、いい緊張感がある出し物であった。家族ごとに写真を撮ってステイ先に向かう。

ホストファミリーとの別れを惜しみつつ、楽しかったパラオの思い出とともに、グアムへ向けて出発した。9:55成田着。日本へ到着した安心感と睡眠不足のせいかもしれないが体に疲労感をおぼえる。入国審査を終え、おのおの家路へ急いだ。

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【現在までの成果とこれからの課題】
準備期間も入れると6年間という期間に、4回のスタディツアーを行った。参加者たちが、このツアーをきっかけにパラオに強い親しみと興味を持ち、パラオや戦前の日本について、また南の国々に関心を持ってくれた。また、パラオとのコネクションができたことは、東京OB会の今後の活動への大きな財産となる。
当初から若い世代こそ海外を体験してほしいという意図だったので、中学・高校生を参加対象の中心として企画を立てた。この企画は、海外協力の現場を訪ねる旅でもないし、パラオに遊びに行く旅はでもない。途上国やボランティアの現場を見に行くことだけが目的ではないものを目指したため、事前勉強に重点を置き、現状のみならず歴史的背景を含めて深く学習をした上でパラオに赴き、現地ではホームステイを中心とした日程を組んだ。ホームステイ先では日本語を話すお年寄りを含めた、あらゆる世代のパラオ人と密度の濃い交流を深めることを期待した。実際に参加者アンケートなどを見てみても、パラオに対する理解と知識は、語学の能力を補って余りあるものが有ったようで、同年代との会話はもちろん、通常であれば話をしないような世代間での会話にも適応できたと思われる。

今後の方向性としては、戦前にパラオを含めた南洋群島と呼ばれていた地域の日本時代の様子をお年寄りから聞き取り調査し、両国の歴史に役立てられる資料を作成することも良いのではないか。そうなるとスタディツアーという抽象的で、内容や成果が分かりにくい名称も変える必要がでてくるだろう。参加者の対象も幅が広がる。次は、今までとは形を変えたスタディツアーになるかもしれないが、実行委員の養成と、帰国してからも充実感を味わえ、継続して活動できる計画を立てていきたい。

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タグ:国際交流 国際協力 海外ボランティア 東京

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